病気の話

お久しぶりです。苧環です。
今回は精神病の話についてお話したいと思います。

私が精神病を発症したのは17歳頃でした。この頃は精神病、とまではいかず神経症の程度だったんですが。病名を出すと対人恐怖症です。

よく「え、そうなの?」と言われますが、実は私、中学、高校とクラスメイトに話しかけられても小学生頃から曖昧に存在していた虐めの影響で「あ」「う」「あの」「すみません」しか言えないガチコミュ障のナードだったんです。

今ではむしろ話し過ぎたり人との距離感がわからなくてむしろ詰めすぎたりなどで逆の問題も発生するくるい多弁になったんですが。


話を戻すと曖昧に存在していたいじめの影響で私の自己肯定感は下がるところまで下がりました。
「私なんかが話しかけたらこの人が可哀想だ」「今日も教室のドアを開けて各位に汚物が登校してきた、みたいな目で見られるのか。クラスメイトに申し訳ないな。せめて目立たないように後ろのドアからすみませんと言いながら入ろう」という感じでした。

自己肯定感を下げるところまで下げて生きていて意味不明の被害妄想・加害妄想を膨らませながら高校2年生まで何とか生存していたけども、まあ当たり前でその皺寄せは学習態度や家での生活などに支障になりまもなくスクールカウンセラーと保健室の先生の勧めで精神科の門を開きました。

そこでは診察を受ける前に生い立ちや現在抱えてる精神的な悩みをおばさんに聞かれました。話しながら「なんだこれ、辛い」と思っていましたが、「ここを突破して私の歪みが救われるのなら」と必死の思いで話しました、が、おばさんは一通り聞き終わったあと無機質な声で「なるほど、お辛かったですね」と言い放ち、当時無かったはずの感情がじゃっかん苛立ったのをよく覚えています。

その後当時の主治医に初診を受け、統合失調症の疑いをかけられましたが、「ええ~…そんなヤバい人みたいなことまでは考えてない~…」とそれとなく否定し対人恐怖症の診断に収まりました。その時生まれて初めての精神薬メイラックスを処方されました。これで救われるのか!と嬉しく思いながら受け取りに行きました(精神薬は救いではないので救われなかったのは当たり前)

そこの精神科を数ヶ月通った頃、良く言えば教育熱心で過保護な母親は「全然良くならないじゃない!」とクレーム電話を在住してる市に入れたらしく(何でだよ)次に紹介されたのが入院施設も整ったそれなりにデカい精神科でした。

18歳頃、次に診察を受けた精神科では当時既にブロンを覚えていたので瞬間的に気分が上がり人と対話することの楽しさを覚えていました。今書き込みながら思いましたが、ブロンをやり反則的な方法で人と対話することの楽しさを覚えたのが精神の運の尽きだった気がする。

そこの精神科で、まあ、ブロンで上がっているだけだったんですがそれは素直に言えず「たまに楽しい時があるんですう~…」とコミュ障モードの小声で伝えると主治医は「察した」のような顔をしていました。

そして約一年後、家族へ精神的なDVみたいなことを繰り返し入院しました。

入院中は毎日ワーキャー!と異常者を蹴り飛ばしたり異常者に蹴り飛ばされたりしてたのでそれなりに楽しかったのを覚えています。そして週に一度ある入院中の診察で私は中々聞けなかった「病名」をやっと聞き出しました。


私「先生、私何の病気なんですか」
主治医「うーん、君はやってることのそれは境界性パーソナリティ障害だから確定ではないんだけど、人間関係を築くのがそこまで下手ではないし(ちなみに下手くそです)双極性障害二型だね」

実際、数ヶ月に渡る気分の降下や逆の上昇もあるので今となっては確かに頷ける診断です。ですが、この絶望的なくらいの人間関係クラッシャー癖はどう説明するんだ…という感じです。周囲の人間はお医者ではないので見た感じの雰囲気の見方ですが周囲曰く「ボーダーだね」だそうです。私自身多分どちらも齧ってるんだろうなと思います。


ここまで書きましたが、実は落ちが診断名は精神薬は救いではないという話です。

診断名があると、「私〇〇だから」というように依存癖がある人間だと自然とその病気そのままに傾倒していってしまうのです、恐ろしい話。
精神薬もそうです。精神薬は日常を送るための補佐的な薬であり決して「救い」を求めることができるものではないのですが、心が弱りやすいメンヘラはどうしても精神薬に依存しやすくなってしまう、悲しい。そして被害者ぶるのが上手い人間だと「私〇〇病だから!」「私は精神薬飲んでるくらい不安定だから!」というように病気や精神薬を盾にし攻撃する最悪なムーブまで始まってしまいます。

まだ診断を受けてないメンヘラ、精神薬を飲んでいないけど精神薬は救いだと思っているメンヘラ。決して診断名や精神薬は貴方を守る盾や攻撃するための槍ではないです。

むしろ後々貴方の足枷となるだけのつまらないものだということをあまり忘れてはなりませんよ。